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第10回「活動記録」@宮城県南三陸町&気仙沼市+福島県南相馬市

【活動期間】平成24年11月30日~12月05日

【支援車両】8tトラック1台,乗用車1台

【参加費】1人2万円(宿泊費2日分を含む)

【参加者】総員5名  近藤千年,中村,池川,森実,近藤(幸)

【支援物資&お土産】ミカン,野菜(里芋,白菜など),タオルなど

今回はミカンを大量に提供して頂いたので,持参できるお土産が増えました。これにより知り合いだけにしかお持ちできなかったお土産を仮設の入居者全戸にお渡しすることもでき,訪問できる仮設も増えました。

10月には時間切れで訪れることのできなかった福島県南相馬市の仮設訪問を今回は最初からスケジュールに入れました。山形県から福島にボランティアで通われている方からの「福島に立ち寄って欲しい。福島を見て欲しい」という要望に応える形で実現しました。初めて見た南相馬市の風景に,被災地を自分の目で見ることの大切さをあらためて痛感しました。


■11月30日 隊長のトラックは一足先に新居浜を出発。今回も運転の交代要員がいないので,十分に睡眠時間を確保して安全運転を心掛けるためである。

 

■12月01日 今井邸でメンバーが合流し,正午ちょうどに新居浜ICから高速に乗り宮城県に向かう。今回は道路の凍結などが予想されるので所要時間は約20時間と見積もる。

■12月02日 志津川町戸倉(南三陸)の仮設(自然の家)近くのコンビニで隊長のトラックと合流。自然の家かあちゃんクラブのメンバーさんと落ち合い,その後仮設に向かう。

自然の家仮設での活動の後,歌津町の及川さんと道沿いのコンビニで待ち合わせお土産をお渡しする。その後、元歌津中学校仮設の自治会長さんと待ち合わせ、届けてもらうミカンを降ろす。

近辺の復興市場でしばらく時間を過ごした後、8月に慰霊祭のための草刈りをした小泉地区に向かう。小泉地区の現状を見た後,唐桑半島の鮪立(しびたち)の“つなかん”に向かう。2日間宿泊する。

■12月03日 午前中は唐桑半島にある全仮設6ヵ所を含め,10ヵ所ほどを訪問。日没後から,つなかんで作業を行う。

■12月04日 予定より1時間遅れで,唐桑を発ち福島県に向かう。南相馬市で3ヵ所の仮設を訪問。

■12月05日 午前10時ごろに新居浜に到着。近藤産業にて解散。

 今回のレポートも,HP制作&写真班で同行した近藤ゆきひろが説明文も担当させていただきました。つまり,私の視点から描写(コメント)させていただいております。  誤字・脱字・時系列など何かしらの修正点および追記要望がございましたらお知らせ下さい。


東北に出かける準備作業風景

ミカン摘み-1:11月21日撮影
市内角野地区の廣瀬さんからミカンの提供を受け、数日間をかけ延べ約50人ほどがミカン摘み作業に従事してくれました。角野公民館での文化祭(東北の物産販売)とも重なり忙しい数日となりました。

ミカン摘み-2:11月21日撮影

ミカン摘み-3:11月21日撮影

ミカン摘み-4:11月21日撮影

ミカン摘み-5:11月21日撮影
最後に集合写真を撮ってこの日の作業を終わりました。この日以外は写真班の私が参加できなかったために作業風景や集合写真を撮ることができませんでした。m(__)m


記録写真

隊長撮影-1:12月1日午前9時ごろ,福島県南相馬市友伸グランド仮設に到着
1日早く出発した隊長は月が変わって1日の午前9時半頃に友伸グラウンド仮設に到着。雪模様だったようです。一人でご苦労さまでした。

隊長撮影-2:12月1日午前9時半ごろ,友伸グラウンド仮設の集会所にて
お土産のミカンを喜んでいただけたようです。自治会長さんや生活支援員さんたちです。


写真-1:2日午前7時28分,日の出直後に戸倉に到着
戸倉にある自然の家仮設までほんの数キロのところ。待ち合わせによく使うコンビニの駐車場。概ね予定通り,19時間半かかり到着しました。ここに来る途中の自動車専用道路に設置された温度計はマイナス4℃を表示していました。ちなみに,隊長は運転席で爆睡中でした。

写真-2:自然の家かあちゃんクラブさんと合流
1年前からのお付き合いになるみなさんにお土産のミカンなどを降ろしています。

写真-3:葉の付いたミカン
ことのほか葉付きミカンが喜ばれました。左の方(芳賀さん)が,ミカンを買ったときに葉が紛れ込んでいると宝くじに当たったように嬉しい,と仰っていました。ミカンの葉を見たのは人生で初めてとのことでした。この葉付きミカンを持って行こうとひらめいたのは隊長です。

写真-4:自然の家仮設
自然の家仮設。10月にピザ教室をやったところです。天気がよいので外にブルーシートを広げその上にミカンを降ろします。餅つきのイベントを行うために来ていたYMCAのメンバーさんも手伝ってくれました。

写真-5:自然の家仮設
仮設の人たちが出てきて下さって小分け作業を手伝ってくれています。

写真-6:自然の家仮設-そらちゃんに再会
そらちゃんもおばあちゃんと一緒にお手伝いをしてくれます。前回は拒否されましたが,今回は抱っこさせてくれました。元気に育つんだよ,そらちゃん。

写真-7:自然の家仮設
小分けされたミカン。全戸にお配りする分だけあります。一番上には葉付きミカンをのせます。

写真-8:自然の家仮設-自然の家かあちゃんクラブさんの作業部屋
朝食代わりに海の幸をいただきました。

写真-9:自然の家仮設-自然の家かあちゃんクラブさんの作業部屋
毛糸作品を作られているのが自然の家かあちゃんクラブ(略称,SKC)さんで,この方たちのために材料となる毛糸を集めています。10月訪問の際は,村松さん(左から2番目)がお疲れのようで心配していましたが,今回はお元気そうでした。みなさん笑顔はとても明るいですが,津波のために大変なことを経験された方ばかりです。

写真-10:及川さんと待ち合わせ
歌津町の及川さんとコンビニで待ち合わせて,お土産をお渡ししました。こういうことが情報収集のよい機会となります。

写真-11:及川さんご夫婦
及川さんにもクリスマス・プレゼントとしてアルバムをお送りしました。及川さんのところには新居浜(多喜浜漁協組合長の佐々木さん)から支援した漁船もあり,現在「愛媛丸」と名前がついてアワビの開口(=漁の解禁日)の時には活躍してます。提供させていただいたミカンは及川さんの手配で、近所の在宅被災者・歌津小学校仮設・保育園などに配ってもらいました。及川さん、ありがとうございました。

写真-12:歌津中学校仮設用のミカン
津波で流されたお寺の境内でミカンを降ろしています。地元の大工さん(元歌津中学校仮設自治会長)と酒屋さんがお世話をしてくれました。

写真-13:お寺近くの復興市場
大工さんから新潟放送の美人アナウンサーが来ていると知り,隊長の発案で見に行こうとなりました。しかし,それは表向きの話で,実は少しでもお金を落としに行ったのでした。いや,本当ですよ。(^.^)

写真-14:復興市場
新潟放送の人たちは別の場所に移動した後でしたが,同じく新潟からボランティアさんが来ていました。一緒に来られたのでしょうね。地域限定のぽっぽ焼き(写真右上)というものをいただきました。

写真-15:復興市場の酒屋さん
ミカン降ろしを手伝って下さった酒屋さんの営むプレハブの店です。ここで2種類の地酒を購入しましたが,南三陸歌津(大吟醸)というのが特に美味しかったです。次回も機会があれば購入します。

写真-16:小泉地区
唐桑に移動途中,8月に慰霊祭のために草刈り作業をした小泉地区を訪れました。津波で唯一残っていた住居の基礎部分を撤去する作業を行っていました。ようやく,という印象です。

写真-17:唐桑の馬場康彦さん宅
唐桑で活動する若いボランティア(大学生や大学卒業後間もない男女)を受け入れて,母屋の裏の住居を活動拠点として提供しています。彼らに差し入れ(米・みかん・野菜)を持って行きました。

写真-18:唐桑の馬場康彦さん宅-からくわ丸の拠点
後ろのプレハブは馬場康彦さんの好意で震災直後から学生たちの活動拠点として活躍し、彼らはここで寝泊まりしながら復旧活動に関わってきました。その後、GAKUBOの拠点となり多くの学生を受け入れることになりました。現在もこのプレハブで支援会議や、地元の若い方たちとの交流の場として活躍してます。 これから厳しい寒さが続くので風邪予防にミカンを食べてビタミンCを補って下さい。中村(右端)さん,緊張しすぎです。(^.^)

写真-19:つなかん(盛屋水産)に到着
午後4時頃に唐桑半島の鮪立(しびたち)に到着。今では唐桑での定宿になりました。朝食抜きで作業し昼食も軽かったので,夕食は早めになりました。私自身にとっては人生初の牡蠣鍋をごちそうになり,その美味しさに感動しました。特に,最後のおじやが濃厚な出汁が出ていてとても美味でした。だからと言って、自宅で牡蠣鍋をしてこれほど美味しいかというとそれは疑問です。

写真-20:鮪立の朝の風景
前日からの晴天が続き放射冷却で冷え込み,朝霧が立っています。残月もあり気持ちの良い夜明けでした。

朝の散歩をしていた同行者が地元の人に言われたそうです。

「あなたたちはミカンなどの物資を仮設にばかり持って行くが,自宅にいる被災者のところには何も来ない」

私たちにとっては辛いことです。しかし、お気持ちも分からないわけではありません。情報収集力,情報発信力の大切さをあらためて認識した瞬間でした。

写真-21:朝霧立つ漁港の風景
朝の散歩のおかげで気持ちの良い風景を見ることができました。

写真-22:朝食
中央道でのトンネル事故のニュースが流れています。長距離を移動する我々の活動では数え切れないほどたくさんのトンネルを通過します。他人事ではありません。

写真-23:鮪立老人憩いの家
唐桑の物産販売に協力してくれているからと気を遣って愛媛のミカンを注文してくれました。新居浜で購入してお持ちしました。復興した後もこういう交流が続くことを願います。

写真-24:鮪立老人憩いの家の前で記念撮影
海で活躍された男たち,いい顔をしています。昔の海の仕事の話もたくさんして下さいました。向かって左端が鈴木さん,大漁唄い込みの会の会長でもあり,私たちが仕入れた新巻鮭を作ってくれている方です。

写真-25:福祉の里仮設
まけないぞうのリーダーさんが住まわれている仮設です。昨日に続き今日も快晴です。あちらこちらから人が集まり小分け作業が始まります。 お手伝いに参加されたある女性の言葉が印象に残っています。「今日やることができてよかった~。毎日どうやって時間を過ごそうかと困っているんだ~。」

ここで市議の戸羽先生ご夫妻と合流し,この後は戸羽先生のお世話で唐桑の仮設を回ります。

写真-26:中井小学校仮設
奥の学校3階部分には「…共に歩もう」というメッセージがありました。

写真-27:中井小学校仮設
最長老でしょうか,笑顔の素敵なかなりの別嬪おばあちゃんでした。ポートレートも撮影させていただきお送りしました。

写真-28:旧唐桑小学校仮設
この先に舞根(もうね)地区があり,私たちが最初にがれき撤去に関わったところです。お見かけした人たちの平均年齢はかなり高かったです。偶然でしょうね。(^.^)

写真-29:小原木中学校
この仮設で,偶然にも唐桑まけないぞうチームの千葉さん(手前左)と再会しました。8月にお会いした方の一人で,10月にも福祉の里(仮設)の集会所までわざわざ来てくれ話に参加して下さいました。

写真-30:小原木中学校
ひなたぼっこをしていた男性陣も加わり記念撮影です。この写真も人数分をお送りしました。

写真-31:民宿「さかや」
隊長とは縁の深い民宿です。この民宿,1階部分を津波にやられ一時は再開を諦めたのですが,学生ボランテイアが中心になって復興させ,現在は営業をしています。会として宿泊したこともあります。ここのおばあちゃんが亡くなられたということでお線香をあげに立ち寄り、お土産もお渡ししました。 この民宿の近辺には在宅の被災者が居られ,支援物資が十分に届いてないとのことで夏物衣類・冬物衣類・暖房器具などを継続的に支援させてもらっています。今回も、「さかや」さんにお願いして在宅の被災者の方々にミカンを届けてもらいました。

写真-32:民宿「さかや」の食堂
我々の知っている一般的な民宿とは造作が違うようです。立派な木材が使われています。

写真-33:小原木小学校
ここでは直接集会所の中にミカンを運び入れました。

写真-34:小原木小学校
集会所の中の様子を撮影させていただきました。

写真-35:小原木小学校
お手伝いしてくれた方々と記念撮影。もちろん,人数分の写真を送らせていただきました。

写真-36:漁り火パーク仮設
天気が良かったのでここで記念撮影をさせていただきました。この女性,この仮設の人で何やら地元では有名人らしいです。詳しい話を聞く時間がありませんでした。

写真-37:和風レストラン「漁火」
ここは唐桑半島の高台にあり風光明媚です。岩手県の山も見えます。下の写真参照。ここで戸羽先生ご夫妻や大喜水産の船主前田さんと昼食をとりました。

写真-38:漁火パークからの風景
美しいですね。いつの日かこの辺りをゆっくり旅行したいものです。

1時前に会食が終わり,この後私は福祉の里(仮設)に一人送ってもらいました。まけないぞうの販売支援のことで,ゾウさんチームの数名・NPOの担当者・小野寺さんと話し合いをするためです。それが終わったのが3時半頃で,迎えに来てもらって鮪立に戻りました。話に夢中になり記録写真を撮り忘れました。写真班失格です。(^^ゞ

写真-39:鮪立漁港の夕陽
3時56分撮影。鮪立に戻るとこの風景です。この時間に日が落ちるのですね。

写真-40:“つなかん”での作業
海水を海から盛屋水産の作業場まで引いてくるホースを伸ばして設置しました。右端の青年はボランティアが高じて漁師に弟子入りしたシティボーイです。頑張れ!

写真-41:“つなかん”での夕食
奥では山形県からの団体さんが食事中です。

写真-42:山形県からのみなさん
「さくらんぼ東根同友会の震災復興支援行脚」という山形市から来られたグループだそうです。少しお話をさせていただきました。楽しい方々でした。お一人が愛媛の大ファンだということで何だか嬉しくなりました。いつかまた会う日まで!

写真-43:懇談
隊長がユーモアを交えて一席ぶっております。(^.^)

写真-44:若者と会食
山形のグループが帰られた後,地元で活躍するボランティアの若者たちと会食です。地元の若者と外からボランティアに来た(元)大学生たち(からくわ丸のメンバー)が一緒に活動をしています。地元との融合、これがボランティア活動の理想型かも知れません。 彼らが来ることを知っていたので鍋を食べずに残しておきました。この会食は本当に楽しかった! ★紹介しておきましょう。写真左からベッチ(地元の若者)、クニヨシ(国権)、エマ、ジョンフアン(地元の若者)、ショウコ、隊長,拓馬(からくわ丸
の代表)、中村さん、森実さん。後から、イツコとブッチ(Uターン組)が参加。(※呼び捨てm(__)m)

翌朝は雨。今日は福島に立ち寄ってから新居浜に帰ります。8時出発の予定が1時間以上も遅れて9時15分に出発しました。遅れを取り戻すために,大休憩や昼食抜きで走り続けます。気温が上がらず,山越えでは一部道路が凍結していました。特に、下りのカーブは緊張を強いられました。 福島でお世話をしてくれる生活支援員さんたちに合流できたのは午後1時半でした。案内してもらって仮設を3ヵ所回ります。

写真-45:福島県南相馬市の仮設-1
お土産はミカンです。寒さのあまり手が震えて「手ブレ」をおこしている写真です。写真班としては恥ずかしい限りです。

写真-46:集会所の横の予備部屋
雨でしたので,お土産のミカンをここに置かせていただきました。みなさんで小分け作業を楽しくしてくれたでしょうか。

写真-47:娯楽室
見て行けと言うので,遠慮なく撮影をさせていただきました。この方たちにも写真はお送りしました。

写真-48:福島県南相馬市の仮設-2
自治会長さんがお手伝いに来て下さいました。ここにもミカンを降ろしました。

写真-49:福島県南相馬市の仮設-友伸グラウンド仮設
生活支援員の二木さんの活動拠点の仮設。往路で隊長が一人で立ち寄り,ここには既にミカンを降ろしてあります。今後の支援活動を見据えて、南相馬市の状況を教えてもらうために立ち寄りました。 この仮設は,中央の通りを挟んで,左が地震・津波の被災者,右が放射能から逃れてきた人たちが住まわれているそうです。

写真-50:福島県南相馬市の仮設-友伸グラウンド仮設
少しだけお土産もお持ちしました。お米や野菜類です。

写真-51:福島県南相馬市の仮設-友伸グラウンド仮設内の集会所
お茶をご馳走になりながらお話をうかがいました。この部屋に入るなり,みなさん口々にお話をされます。初対面の垣根のようなものなどはありません。旧知の間柄のように話しかけてくれます。ボランティアで来る人が少ないのでしょうね、外の人にあまり会っていない,外の人に自分たちの現状を愚痴りたいのかなという印象を受けました。 左端の人がこの仮設の自治会長さんです。震災以前は大家族で,いつも8人ほどの食事を作っていたそうです。今は二人分だけ。二人分を作るほうが難しいそうです。白菜を4分の1買うなんてことは仮設に入って初めて経験したそうです。そもそも野菜は買うことさえなかったそうです。 仮設に来るまでの途中の風景は一見“のどか”そのものでした。道路の左右に広がるどこか懐かしい田園風景,点在する柿の木…、どの木にも綺麗に色付いた大きな柿がたわわに実っています。写真を趣味にしてきた私には写欲の湧くような風景でした。そして,集会所で知りました。この辺りでは木になっているものは食べてはいけない場合が多く、また畑で何かを作るにも制約があるようです。それはもちろん、放射能のためです。ニュースでは知っていましたが,知識と目の前の穏やかな風景とが結びつきませんでした。地震と津波による震災に加えて,原発震災もあります。これが南相馬の現実です。
◎山形から定期的に福島の仮設を訪れている須藤さんからの情報:  南相馬はお米以外は少量とは云え野菜も果物も作っており、線量を測り基準値以下は出荷いたしております。 そして,この女性たちが仰った言葉が胸に突き刺さりました。 「昼間は笑って,夜は泣いています。布団に入ったら寂しさが募ってきてね…」 帰る際には,どなたかが「私も連れて帰って!」と言って皆で大笑い。しかし,そんな冗談にも痛々しいものを感じました。 私がカメラバッグにつけていた「まけないぞう」に気づき「かわいい、かわいい」と盛り上がりました。まけないぞう大使の説明をすると「かわいい!私も作りたい!」となりました。早速,帰ってきてから神戸のNGOに連絡をとり,講師の手配などをお願い致しました。 家庭菜園さえままならない環境にあって,この方々には何かしらの手作業で時間を過ごす術が必要なのだと思います。いつでも始められるようにタオルを送らせてもらいました。

写真-52:集会所
隊長は生活支援員の二木さんから情報収集です。

写真-53:佐藤さんの作品-ミニハウス
佐藤隆さんという方が趣味でこういうものを作っておられます。時間が経つのが遅い環境の中では,こういう風に何かしらやることを見つけないと肉体的にも精神的にも大変だろうと思います。

写真-54:佐藤さんも話に参加
外出から帰られた佐藤さんが話に加わってくれました。佐藤さんからプレゼントされた民家の模型は角野公民館に飾ってもらうことにしました。伊予銀行角野支店にも飾ってもらう計画です。

写真-55:佐藤さんの作品
赤い柿がよいアクセントになっています。

写真-56:佐藤さんの作品
集会所だけでなく娯楽室にも佐藤さんの作品が飾られています。

集会所を後にしたのは3時半近くでした。これからは一路、新居浜に向かってひたすら走るだけです。東北道に向かう一般道路上の道の駅で福島の物産を買おうと思いましたが、その道の駅をいつの間にか通過してしまったようです。仕方ないので、福島県内のSAでお土産を購入しました。

往路と同じように復路も首都高を経由して東名高速道路を利用することにしました。首都高からは夜空に浮かぶスカイツリーが見えました。 不思議なもので、東名に入った際にナビの残り距離表示が800km強になっているのを見て、「たった800キロだ」と思いました。感覚が麻痺していたのでしょうね。(^.^)

往復で2,800キロを走り新居浜に帰り着いたのは5日の午前10時頃だったでしょうか。近藤産業に着いて荷下ろしもあったのですが、疲労困憊で記録写真を撮り忘れています。したがって、時間もうろ覚えです。これまた写真班としては情けない話です。

隊長と私の運転交代要員として大活躍された池川さん、大変お疲れ様でした。本当に感謝です。中村さん、おんとし75歳で参加されることにも敬服しますが、道中でメール・デビューされたのも凄いと思います。森実さん、会計係ご苦労さまでした。お二人には不足分のガソリン代までカンパして下さり感謝です。

冬季は東北での活動は中断ですが、春までの間もこちらでできる活動や次回の東北での活動のために着々と準備を重ねて参ります。みなさん、ご協力をお願い致します。m(__)m
(個人的な趣味の世界かも知れませんが、往路で東北道を北上中にかなり長い間、北斗七星を真正面に見ながら走ることができました。これは他では経験できないことです。行った人だけの特権、プチご褒美なのかも知れません。)
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