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第2回「活動記録」@宮城県気仙沼市+南三陸町

【活動期間】平成23年6月6日~6月12日

【支援車両】4tトラック1台,2tトラック2台

【参加者】近藤千年,今井 昇,山本純一,伊藤彰浩,上野 剛,近藤隆司,古川拓哉(愛媛県議)

・5月20日:新居浜市農協にお願いして,野菜の支援をしていただく。

・洞雲寺宿泊のため宿泊費用不要。途中2泊は,作業時間を朝7時から夕方6時までとした為,菅野さん仮住宅にお世話になる。

6月6日 新居浜市農協へ野菜を取りにいく。ダンボールは小につめてくれていたので2tトラックに積み込み。4tトラックには前回同様重機を積み他の2台の2tダンプトラックとともに,新居浜を午後4時出発。

6月7日 前回同様の北陸道~東北道を経由して気仙沼へ。交代運転のため20時間で現地に到着。宿泊は,やはり洞雲寺にお願いして,そこを拠点として唐桑まで作業に行く。午後3時には唐桑に到着し,明日からの作業予定の打合せ。5月に知り合ったボランティア団体FIWCの支援の形で作業をすることに決定。

6月8日 今回は鮪立地区のがれき撤去作業に決定。1軒目が鮪立から少し離れた畠山さん宅の家財道具の運び出し処分から作業開始。屋根の上まで津波をかぶっているため全ての家財道具を運び出し処分する。その作業に平行して,建屋全体が津波にさらわれ家族3人が亡くなった家も周囲の片づけをする。

6月9日 前日に引き続き,畠山さん宅の片付け。午後から鮪立地区の菅野さん宅の片付け開始。津波の押し寄せた方向により,全てがなくなった家もあれば,すく近くに押し流された家,周囲のゴミが全て集まった家とさまざまで,菅野さん宅は家の前がゴミの山になり,3ヶ月も経ったためハエと悪臭が強烈で量もあった。今回の日程では,この家を片付けるだけで終わるくらいである。

6月10日 前日に引き続き菅野さん宅の片付け。量が多いため,朝7時から作業開始。木材,衣類,畳,家電製品,生ゴミ,網類が絡まり一緒になっているため作業は難航。他のボランティアも手伝ってくれるが,暑さもあり体力の維持が難しい状態であった。

6月11日 午前中に作業を終了して,新居浜に帰る予定であったが近所の人も重機があるのなら少しだけでもやってくれないかとの依頼があり,断ることもできず壊れてつぶれてしまった家を解体しながら,頼まれていた位牌を探し出す。その時の喜びの顔は忘れられないものがある。

また,別便にて石巻市立大川中学校野球部へ,依頼のあった野球道具一式を,有志市民と新居浜市立泉川中学校野球部よりご寄付いただき届ける。午後3時すぎに作業を終了して,新居浜に帰る準備。午後4時新居浜に向けて出発。

6月12日 往路と同じルートで新居浜に昼過ぎに帰着。体がだるくなっていたので全員でマイントピアの風呂に入って汗を流し解散とした。


記録写真

写真-1:夏物野菜
新居浜市農協より提供していただいた夏物野菜,現地では非常に喜ばれました。石井組合長他みなさんに感謝です。

写真-2:新居浜市農協 石井組合長さんと参加したメンバーの皆さん

写真-3:堀江建設工業所
トラックを出して協力していただいた堀江建設さんの会社の前で出発式。なんともこのような式は苦手だ。

写真-4:磐越自動車道の会津磐梯山
磐越自動車道の磐梯山サービスエリア(下り)の早朝の景色,遠くに見えるのが磐梯山です。

写真-5:気仙沼市唐桑の物資の一時保管所
被災した民家を利用させてもらい支援物資の維持保管をしていた。トラックは山本建設のダンプと山本君。この後,片付け作業に力を発揮してくれた。

写真-6:一時保管所の中で記念撮影
中央がアメリカから来ていた慎吾君。彼とのつながりから盛屋水産に片付けにいくことになる。

写真-7:憩いの家から見た鮪立の全景
右側が海で瓦礫は震災時から何も片付いてなかった。この憩いの家はこの地区の被災者がしばらくのあいだ生活していた場所で震災直後は狭いのと寒さで震え,風呂には1ヶ月ほど入れなかったそうだ。生活道路は全て壊れ唐桑半島と結ぶ交通手段が全滅の状態だったそうです。

写真-8
倒壊した家は行方不明者の捜索のために自衛隊が重機で取り除き確認していったそうです。

写真-9
一見何もない様ではあるが満潮時は通行が出来ないほど,地震の影響で地盤が沈下している。遠くの民家も全て津波の被害で住める状態ではなかった。

写真-10
このお宅ではお位牌の捜索を依頼され,新居浜から行った重機で捜索。無事お位牌と金庫が見つかり感謝されました。ボランテイアにいってよかったと満足する瞬間です。この地区は町から離れているために公共機関が入って作業をするのが遅れていたから,我々の力も貴重品でした。

写真-11:気仙沼市内の大川
右手の建物は老人福祉施設で,津波では大きな被害がでたと聞きました。

写真-12

写真-13
唐桑町宿浦(しゅくうら)のガレキ置き場は満杯で,軽四トラック・ライトバンなどで畳や家財道具を運び込んでいました。

写真-14
正面の家の白い壁の部分まで津波が押し寄せ,逆さになったトラックのところにあった家では奥さんと娘さん,おばあちゃんが亡くなったそうです。助けて!と叫ぶ声や姿が見えたけど,どうすることも出来なかったと話していただきました。聞くことで少しでも心が癒されたのならよかったのですが…。亡くなったご家族にお会いしたのですが,何も話すことができませんでした。

写真-15:家財道具の片付け
震災当時の話は,聞くこと,相槌をうつこと,うなづくこと,他にはなにも言えません。

写真-16:気仙沼市内の大川
このようなタンク群から重油が漏れ,気仙沼市内が燃えたそうです。

写真-17:唐桑町只越(ただこし)から見た風景
穏やかではあるのですが…。

写真-18:畠山さん宅
畠山さんの自宅を片づけ中の休憩風景。上段3人は学生,下段3人は新居浜からの応援部隊。

写真-19:鮪立(しびたち)の海

写真-20:鮪立の菅野さん宅前のガレキの山
場所によって津波の寄せ方が違います。ガレキの山となったところ,全てを海にもっていったところ,家の中に冷凍マグロが入ったり車が入ったりしたところ,家の骨組みだけが残り家財道具は全てなくなったところ…。津波の恐ろしさはこの光景からも十分想像できます。

写真-21:鮪立の菅野さん宅
かろうじて家は残ったのですが,1階部分は潮につかり,全ての部屋の畳がない状態で生活していました。

写真-22:記念撮影
ようやく片づけが終わり新居浜に帰る前の記念写真。家の前のガレキが片付き気持ちが明るくなったと感謝されました。それ以降この菅野さんとのお付き合いは続いております。

写真-23菅野さん宅でのお別れパーテイ:
ご主人は無口だが飲むと楽しい。やはり相当のストレスがあるのでしょうか,胃潰瘍を発症したそうです。被災者の方と応援部隊,やはり細やかな心遣いは必要だと実感しました。

写真-24:石巻市の大川中学

写真-25:大川中学
大川中学に野球用具を支援しそこに用具を持っていったときの写真です。私たち数人は菅野さん宅に残り帰る寸前まで片付け作業をし何とか家の前のガレキを撤去して,大川中学に行った仲間とは東北道で合流して帰新居浜しました。

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